晴耕雨読 その3
2024/9/23 at 12:30 先週末、二人の批評家が亡くなった。福田和也とFredric Jameson。評判は聞いていたものの、結局、福田の作品は処女作しか読んだことがないままであった。メールマン『巨匠たちの聖痕』のテーマを深く抉った彼の処女作は、フランスにおける右派の知的系譜(20世紀初頭のソルボンヌにおける新カント派の圧倒的な存在感)を俯瞰するうえで大いに役立った。当時ニューアカ景気に湧いていた業界人や仏文学会のひとたちは福田のことを軽んじていたが、デビュの時点で内田樹(および都立大周辺の反ユダヤ主義研究者)の知性を超えていた。福田恆存、林達夫、花田清輝、江藤淳と受け継がれてきた右派の批判的知性の系譜が途切れてしまうのは勿体ない。 丁度同じころ、Jamesonの本にもお世話になった。アドルノ、ホルクハイマー、ヴァルター・ベンヤミンをめぐるユダヤ人迫害問題とシオニズム、マルクス主義批評の関係性について、近年、左派の立場からどんな議論が交わされているのか皆目見当がつかない。Jamesonを知ったのは筒井康隆『文学部唯野教授』を通じてのことだった。筒井の原本とされるT. EagletonのLiterary Theoryが存外に面白く、そこからPaul De Man、Jamesonと読み進めていった。きっかけを与えてくださった筒井康隆御大もほぼ引退のご様子で、寂しい限りである。