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一九八一年の夏休み

思い出したことを、忘れないうちに書いておく。
わたくしと件の市議会議長HSは、一九八一年の夏休みを、同じ「坑」のなかで暑さに喘ぎながら過ごしていた。

ふたりとも坊主頭だった。
喫煙が寮長にバレ、何人かの悪友ともども、生まれてはじめて頭を丸められた。
せめてもの抵抗に、眉毛を糸みたいに剃って、剃り込みも入れたら、母親から吃驚するくらいどやされた。

一九八一年の夏休み、ふたりは親父が経営する設備会社でアルバイトをしていた。
目標は、楽器をグレードアップするための資金を調達すること。
当時、親父の会社は上水道関連の公共事業を盛んに請け負っていたので、華奢な体躯のふたりは、ユンボが掘った細くて深い「坑」に潜り込み、ガソリンバーナーでビニールパイプの端緒を炙りながら、只管弛緩したパイプ同士を繋ぐ作業をして夏休みを過ごした。

十数万円のアルバイト料をもらった。
大島のYKのところでアワビの密猟をするのに比べると割に合わないが、それでも十六、七歳にしては十分な金額だった。
わたくしはそのアルバイト料で、ローランドのアナログシンセと、グレコのストラト(ジェフベック・モデル)を買った。

夏休みを終え、NH市の「大阪屋楽器店」に新しい楽器をもったバンドのメンバーが集合した。

数ヶ月前とはメンバーが入れ替わっていた。
夏休み直前にHTの親父が急死した。
HTは一年目で留年し、寮を放逐されて一人で下宿していた。
HTは今後の家計への負担を考えて中退を決意し、地元の高校に入り直すことにした。
こうして、HTがリーダーシップをとったTHE BASEは霧散した。

この日、わたくしは新しいシンセサイザーを携えてスタジオに赴いたのだが、そこには、ドラムのTTが連れてきたN高のKBD女子がいた。

わたくしはギター兼ボーカルとなり、シンセサイザーを放擲することにした。
新しいバンド名はHEROINと命名された。
名付け親はわたくしではない。

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