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晴耕雨読 その3

2024/9/23 at 12:30 先週末、二人の批評家が亡くなった。福田和也とFredric Jameson。評判は聞いていたものの、結局、福田の作品は処女作しか読んだことがないままであった。メールマン『巨匠たちの聖痕』のテーマを深く抉った彼の処女作は、フランスにおける右派の知的系譜(20世紀初頭のソルボンヌにおける新カント派の圧倒的な存在感)を俯瞰するうえで大いに役立った。当時ニューアカ景気に湧いていた業界人や仏文学会のひとたちは福田のことを軽んじていたが、デビュの時点で内田樹(および都立大周辺の反ユダヤ主義研究者)の知性を超えていた。福田恆存、林達夫、花田清輝、江藤淳と受け継がれてきた右派の批判的知性の系譜が途切れてしまうのは勿体ない。 丁度同じころ、Jamesonの本にもお世話になった。アドルノ、ホルクハイマー、ヴァルター・ベンヤミンをめぐるユダヤ人迫害問題とシオニズム、マルクス主義批評の関係性について、近年、左派の立場からどんな議論が交わされているのか皆目見当がつかない。Jamesonを知ったのは筒井康隆『文学部唯野教授』を通じてのことだった。筒井の原本とされるT. EagletonのLiterary Theoryが存外に面白く、そこからPaul De Man、Jamesonと読み進めていった。きっかけを与えてくださった筒井康隆御大もほぼ引退のご様子で、寂しい限りである。

晴耕雨読 その2

2024/9/15 at 21:00 敬老の日。齢六十にして両親ともども健在である。 父は痴呆の症状がではじめたとみえ、昨年来、長年の喫煙の習慣も忘却したそうだ。先日、長男が帰国した際に父と僅かな時間を過ごしたが、どのくらい自分の孫を認識していたものか。 母は丈夫である。わたくしが生まれてからなにも変わっていない。二週間に一度はLineでわたくしや家内に連絡を寄越してくる。タブレットでレシピを検索し、日々新しい料理に取り組んでいる。 母は此処一月のうちに実姉と実弟を喪った。母の心境をおもうと、今年の九月一五日は、通例と一寸違った心持ちになる。久しぶりに手紙を書いてみよう。

晴耕雨読 その1

2024/9/14 at 16:00 午前七時起床。排尿。水を洋盃二杯飲んだのちCOFFEE五杯分の湯を沸かす。MELLITAのドリッパに先日BERLINで購入した格安のフィルタをセットするが寸法が合わず、底面に隙間ができる。RUBINというドイツ製のフィルタ。MELLITAはドイツのデファクト・スタンダードであり、汎ゆるフィルタはそれと寸法を合わせていると思い込んでいた。 COFFEEを碗に注ぎ自室へ。旧機T430のSLEEPを解除しArch Linuxのアップデートを検証後、Braveブラウザを開く。 さいきんはMTくんのXの閲覧からはじめている。右から左まで魑魅魍魎と化したデマゴギーの発言の一々を検証する気分も失せ、EARLY ADAPTERながらこれ迄投稿した試しもなく、且つ鍵付きでMTくんだけをフォロしている弊アカウントでは、MTくんの投稿とリポストがXとの唯一の接点となっている。 継いでFEEDLYからニュース関連RSSを検証。購読中のRSSの総数は百件程度で、ここ数年面子にはほとんど変化がない。 世界の現況を把握した気分になり、テレビ番組表を検証。本日午後遅くWOWWOW CINEMAにてPARIS TEXSAS(ヴェンダース)とSWALLOW TAIL(岩井)が連続放映されることを知り、常時稼働の家庭内サーバG50に録画予約のためのCRONTABを設定。 恒例の儀式を終え、一寸残業を熟す。 アッと言う間に十二時となり、昼食の準備に取り掛かる。長男は友人宅へ、次男は飲食店(https://www.roppongimilano.com/)のアルバイトに出掛けたため、家族総勢三名。家内は食欲がない由。三男が友人から土産に貰った「もんじゃやきセット」を二人で食す(もんじゃ焼きは東京の醜さを煮詰めた料理だと改めて認識)。 食後、煙草の残りが僅少であることに気付き、徒歩二分のTABACCAIOへ。MTくんと同じ銘柄(ゴロワーズ青)を購入、五ユーロ。十六歳から、二年の禁煙時期を経て、只管こんにちまで煙草を吸い続けてきた。これまで幾何の金銭を煙草に投じてきたか? a = (60 – 16 – 2) * 365 # 喫煙日数b = 2 /Continue reading晴耕雨読 その1

一九八一年の夏休み

思い出したことを、忘れないうちに書いておく。わたくしと件の市議会議長HSは、一九八一年の夏休みを、同じ「坑」のなかで暑さに喘ぎながら過ごしていた。 ふたりとも坊主頭だった。喫煙が寮長にバレ、何人かの悪友ともども、生まれてはじめて頭を丸められた。せめてもの抵抗に、眉毛を糸みたいに剃って、剃り込みも入れたら、母親から吃驚するくらいどやされた。 一九八一年の夏休み、ふたりは親父が経営する設備会社でアルバイトをしていた。目標は、楽器をグレードアップするための資金を調達すること。当時、親父の会社は上水道関連の公共事業を盛んに請け負っていたので、華奢な体躯のふたりは、ユンボが掘った細くて深い「坑」に潜り込み、ガソリンバーナーでビニールパイプの端緒を炙りながら、只管弛緩したパイプ同士を繋ぐ作業をして夏休みを過ごした。 十数万円のアルバイト料をもらった。大島のYKのところでアワビの密猟をするのに比べると割に合わないが、それでも十六、七歳にしては十分な金額だった。わたくしはそのアルバイト料で、ローランドのアナログシンセと、グレコのストラト(ジェフベック・モデル)を買った。 夏休みを終え、NH市の「大阪屋楽器店」に新しい楽器をもったバンドのメンバーが集合した。 数ヶ月前とはメンバーが入れ替わっていた。夏休み直前にHTの親父が急死した。HTは一年目で留年し、寮を放逐されて一人で下宿していた。HTは今後の家計への負担を考えて中退を決意し、地元の高校に入り直すことにした。こうして、HTがリーダーシップをとったTHE BASEは霧散した。 この日、わたくしは新しいシンセサイザーを携えてスタジオに赴いたのだが、そこには、ドラムのTTが連れてきたN高のKBD女子がいた。 わたくしはギター兼ボーカルとなり、シンセサイザーを放擲することにした。新しいバンド名はHEROINと命名された。名付け親はわたくしではない。

八年ぶりに開いたFacebook

先日一寸した事由があり、八年ぶりにFacebookのページを開いてみた。先ず飛び込んできたのは十余年前のわたくしのsnapshot。 流石に之では拙いゆえ、最新のものと差し替えてみる。その刹那、数名からのリプライがあり、一寸躊躇する。 改めてFacebookを眺めてみる。トップにあったのは古くから登録されている友人HS。HSはわたしたちが最初に組んだバンドの下手くそなギタリストだったのだが、地方市議会の議長になっていた。 興味が湧いたので、HSの友人関係を辿ってみた。自民党派閥なのでそれ関連の有名人の名前が眼に入るが、そのなかに幾つか懐かしい名前があった。 なんの因果か、高専の同級生のうち、都合四人が政治家になっていた。学年で百六十人足らずなので、世の中的には、かなり高い確率で政治家を排出しているのではないか(そういえば、国会議員になった先輩もいた)。 なにより、わたくしと同時期に高専を中退したTくんが、極左社会党で活躍していることに吃驚した。あのころから(わたくしとは違って)骨太の人間だとは思っていたけれど。 今年亡くなった共通の友人Kともども、Tくんのこれからの活躍を祈りたい。 Kはヤクザを全うして死んだが、息子が立派な墓を建ててくれたとのこと。HT、連絡ありがとう。